1819年に生まれたルイ=フランソワ・カルティエは、宝石商アドルフ・ピカールの工房に入門します。ピカールの有能なアシスタントとしてその存在を認められ、1847年、彼が28歳のときにピカールはパリ・モントルゲイユにあった自分のアトリエをルイ=フランソワに譲渡します。
そして1853年、ルイ=フランソワは当時の中心地、パレ・ロワイヤルの隣ヌーヴ・デ・プティ・シャン通り5番地に店を構えました。
そして、当時のファッションリーダー的な存在であったユウジェニー皇妃を顧客に迎え、貴族たちを魅了していきました。
3代目であるルイ・カルティエは「私たちは社会の要求に合った、なおかつ実用的なものをカルティエ風に装飾して製作する」という言葉を残しましたが、彼の言葉は、時代と共にクリエーションを変遷させた、カルティエのしなやかで強靱な哲学を物語っています。その哲学は現代でも受け継がれ、今もなお多くの人々に愛されています。

















